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やまびこおとめ

山彦乙女

山本 周五郎

「夕刊朝日新聞」1951(昭和26)年6月18日~9月30日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,360 字 · 251 页

青空文庫

それはもう記憶が不たしかで、はっきりとかたちを成さない、胸や太腿などは、ひどくあらわに、なまめかしかったように思えるのだが、さてどんなふうであったか、と想像すると、まるでとらえどころがなく、ゆらめく白い霧のように、まとまりがつかなかった。

「これが新しく出来た橋だ」

前の駕から主馬が叫んだ。尾張侯の邸の前を、堀に沿って、東へゆき当ったところである。そこは山村座に近いので、ときどき歩きまわったことがある。たしかにゆき止りであったが、今はがっちりとした、新しい橋が架っていた。

駕は本願寺の門前を、まっすぐに、紀州家の下屋敷へつき当り、そこを左に曲って、築地の河岸へ出た。満潮とみえて、海にはふくれあがるような波があり、沖のほうから、舟が、帆をおろしながら、しきりにのぼって来るのが、見えた。潮の香がつよく匂った。

主馬の声で駕が停った。出ると、草履の下で乾いた貝殻の音がし、咽せるほど海の匂いのする、新鮮な、さわやかな空気が、胸いっぱい、しみとおるように思えた。

「今日は静かだな」

こう呟きながら、主馬は先に立って横丁へ、曲っていった。

河岸に面して、軒の低い、古くて雨風に曝された、小さな家が並び、なかば毀れた舟があげてあったり、干し網が垂れていたりした。