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かげおとこ

影男

江戸川 乱歩

「面白倶楽部」1955(昭和30)年1月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 154,133 字 · 310 页

青空文庫

それがもう、目を圧するばかりに、ふたりの犯罪者の頭上に迫っているのだ。

そのとき、どこからともなく、かすかに異様な音楽が聞こえてきた。こずえを吹く風の音のようでもあった。谷川のせせらぎのようでもあった。肉声とも、管楽とも、弦楽とも聞き分けられなかった。そのどれかのようでもあり、全部のようでもあった。悠久なるふるさとを恋うる音色であった。それには、神と、死と、恋との音調がまじっていた。

それと同時に、谷底のふたりのそばの岩のすきまから、ほのかに青い煙が漂いだしていた。立ち上らない煙であった。重く地底をはう煙であった。うずくまっているふたりの腰にたゆたい、胸にただよい、ついに顔をおおいはじめた。不思議に甘いにおいがあった。かれらはその煙に酩酊を感じた。

いつのまにか、天女の雲は頭上五メートルに迫っていた。眼界いっぱいに広がる巨大なる桃色の雲となっていた。肉体の雲は、裸女のあらゆる陰影を刻んで、ふくれ、くぼみ、もつれ、からまって、うごめきうごめき下降しつづけた。

その不思議な美しさは、何ものにも比べることができなかった。瞠目すべき悪夢の中の妖異であった。