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かげおとこ
影男
江戸川 乱歩
「面白倶楽部」1955(昭和30)年1月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 154,133 字 · 310 页
善神悪神
なんにも楽しみがないのだね」
すると、少女はおこった顔になって、他人行儀な声で答えた。
「あたし、かわいそうな子じゃないわ。楽しいことだってあるわ」
「その楽しいことというのは、ハトのように空を飛ぶことだろう。おじさんはちゃんと知ってるよ。空から神様が、きみをお迎えに来るんだね。金色の神様よ。そして、きみをかわいがってくださるんだ。いまにきっと空へ行けるよ。そして、おかあさんにも会えるだろうよ」
それを聞くと、少女はいっそうこわい顔になって、くるっと向こうをむき、歯と歯のあいだから「チッ」という下品な音を出したかと思うと、いきなり駆けだしていった。恐ろしい勢いで、まるで人殺しに追っかけられてでもいるように駆けだしていった。
少女ながら、侮蔑を感じたのだ。からかわれていると思ったのだ。いや、それよりも楽しい夢を破られたのがいちばんしゃくにさわったのかもしれない。人間知りのネズミ色の服の男は、少女の気持ちがよくわかった。かれはあとを追おうともせず、その場所に立ったまま、意味ありげに微笑していた。全能の神の楽しさで微笑していた。
善神悪神
数日後、速水荘吉、あるいは綿貫清二、あるいは鮎沢賢一郎、あるいは殿村啓介、あるいは宮野緑郎、あるいは佐川春泥、その他無数の名を持つ影男は、帝国ホテルの一室におさまっていた。