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かげおとこ

影男

江戸川 乱歩

「面白倶楽部」1955(昭和30)年1月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 154,133 字 · 310 页

青空文庫

肉体の雲

下から見ては、ほかの部分と少しも変わりのない鏡ですがね。上からのぞくために、ああいう透き通った個所が作ってあるのです」

そこから見おろすと、黒々とした岩の裂けめが、巨大な井戸のように、底も見えぬほど深くえぐられていた。それが上部から俯瞰したこの世の果てであった。

肉体の雲

影男と須原の両人は、まっくらな岩穴の中を、しばらく行くと、パッと眼界がひらけた。そして、そこに恐ろしいけしきがあった。

両側には、切り立った黒い岩山が、無限の空にそびえていた。地球の中心にとどくかと思われるほどの、深い岩の裂けめであった。渓谷にはちがいない。だが、渓谷と呼ぶにはあまりに恐ろしいけしきだった。世界のいかなる渓谷にも、これほど異様にものすごい場所はないにちがいない。

ふたりの犯罪者は、岩の割れめの底の二匹のアリのように、そこにたたずんでいた。

両側の断崖は、その高さ何百メートルともしれなかった。そのはるかはるかの切れめに、夜の空があった。星が美しくまたたいていた。

「あれはほんとうの空だろうか。そして、ここは、そんなに深い地の底なのだろうか」

小男須原は、この壮絶な風景に接して、悪心を忘れ、貪欲を忘れ、ひたすら震えおののいているかに見えた。