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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

一人前の文学はどれでもリアリズムに立脚するだろうがただの平リアリズムと所謂社会主義的リアリズムとの云わば認識論上の区別は、この辺の消息にかかわってはいないかと思う。

さて以上は、文学(又形而上学的哲学も仮に存立を許すとして)がなぜ科学を必要としなければならぬか、を証明したわけだが、今度は逆に、科学がなぜ文学を必要とするかを説明したい。科学を知らなくても一人前の人間だと思っている文学者は多くても、文学に触れずに一人前の人間だと思っている程無知な科学者は、まず少ないだろう。科学的理論はそれ自身の具象性を有っている、のみならず夫々個々の科学者のやり口による所謂個性をさえ有っている。だが科学はそれだけでは一身上の道徳(世間でモラルと呼ぶ)を有っていない。尤も唯物論からどうやって道徳や理想が出て来るか、という愚問と之とは関係ない。こういう理想主義者や観念論者の考えている道徳ならば、社会科学的にハッキリと結論されている。どうなれば大衆は幸福になるかまで理論的に割り出せる。だがただの科学的範疇で決まり切らないのは、例えば階級道徳律ではなくて、階級道徳の銘々の個人的感覚とそれの階級的な再組織との問題だ。