轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
丁度それと同じに、又夫と平行して、特に文学的読者層においては、社会の思想的真空を充たすべき最も通俗的な卑俗な内容が、偶然にも、全く偶然にも、不安の哲学という名で以て現われたから、偶々、夫が社会不安の良心的な反映であるように思い違いをされたに過ぎない。所謂社会的不安=(思想の欠落)を反映するものは、必ずしも「不安」のレッテルを持つ必要はないので、行動主義でもよければ、ネオ・ロマンティシズムでもネオ・ヒューマニズムでもいいだろう。ただ之等のものに較べて、シェストーフ的なるものは、特別に又特有に文学主義的であることに相応して、多少のインテリジェンス(之は実は似而非インテリジェンスなのだが)を有つように見えるものの、最も平均的な原生的な卑俗な、その意味においては最も日常的で常識的な、感覚に訴えるものだったのである。之は善い意味においても、案外動物的な甘いものなのだ。
さて、こうしたシェストーフ的現象が、時間的にも文化的にも倒錯的なこの現象が、シェストーフその人の活動に最初意味のあった時代から三十年も経って、ロシアからフランスを通って日本に輸入され、シェストーフ的現象として実を結ぶ必要がなぜあったか、という限りでは、社会現象としては論じるまでもなく明らかなことだ。