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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
大森氏が必ずしもインテリジェンスが積極的役割を演じ得ないようにサラリーマンなどを、知識階級の主体だと考えて一向疑問を挿まない理由は、ここから最もよく理解されるのである。サラリーマンはサラリーマンであり、インテリはインテリなのだ。
で、舟橋氏の文士式行動主義と、大森氏の社会学者式サラリーマン階級説とは、インテリゲンチャの問題を妙な具合に持ち寄って来る。舟橋氏のマルクス主義に対する観念は云うまでもなく甚だ抽象的で卑俗だ、その点から云えば「マルクス主義者」である大森氏が遙かに進んだ段階に立っているのは云うまでもない。処がインテリゲンチャの問題を主体的に取り上げる段になると、無論大森氏が一般に問題を「マルクス主義」的に取り上げるに反して舟橋氏は反又は非「マルクス主義」的に取り上げるのだが、それにも拘らず、不思議に大森氏よりも舟橋氏の方が問題の核心に触れるものを持っているのである。方法の優れた人間が後れた問題を繰り返し、方法の劣った人間が進んだ問題を提唱するのだから、二人の問答はいつも食い違って、トンチンカンで見当違いで、永久に相互に不満であらざるを得ない。