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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
で寧ろ彼がおしゃべりであるのは、自分の思想内容の源泉を汲み惜しみするからだと考えられないことはない。実際井戸を何遍も根本的に掘り直して見るだけの「方法論」的な覚悟がなければ、井戸の水というものはすぐ干上って了うだろう。処が彼には方法というものの一般に有っている機械力がどうしても呑み込めないのである。
(或る人が小林を批評して、流石の小林氏もモダーニズムにぶつかると手も足も出ないというような意味のことを云っていたが、その意味は私にはよく判らなかった。けれども、とに角、彼には所謂幾何学的精神と繊細な精神はあっても、工学的精神は至極鈍感だということがハッキリ見受けられる。)
だが、解釈はやや穿ち過ぎているかも知れないが、彼のおしゃべりの必要はある種の不安から来ていると見られはしないだろうか。自分の思想内容の乏しいことに不安を感じているのでないことは併し、彼の彼自身に対する自信に充ちた而も大して無理のないポーズから判定することが出来ると思うが、その同じ無理のない自信家が、自分というもの以外の外の世界に向かうと、甚だ自信のない而も無理だらけの「自信家」となって現われる。