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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
彼はヒョットすると哲学者であるかも知れない、併し何よりも先に彼は文学者なのだ。だから彼の世界は言葉に密接に関わり合う世界である。言葉は夫々「影像」(イメージ)を持っている。それが「心理的影像」と「論理的影像」との媒介者である。処で影像というのは何かと思うと、どういう理由からか判らないが彼が最も尊敬しているフランスの偉い哲学的文学者や文学的哲学者達が、更に又尊敬しているデカルトの、イマギナチオ(imaginatio)(観念)から来るらしい。そこで彼はこれをもじって、影像(image)から想像(imagination)を導き出し、それから駄洒落で「創造」を導き出す。即ち影像することは創造することであるというわけだ。文学は影像(但し無論幻想ではない)によって、観念によって創造される。処で小林によると文学が即ち生活なのだから、生活は観念によって創造されるということになる。なる程想像の上ではどんな生活だって創造されるだろう。
之は彼の例のパラドックシカルな洒落ではないので彼の哲学であり論理なのである。尤も影像の直観性を愛する彼は概念や理論を心から憎んでいるらしいが、こんなことは全く退屈なトルイズムで、併しそんなに無意味で無用なものであるべき概念や理論が、あれほど世間の人々に気に入っている以上、世間の奴等は一人々