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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

これは彼のパラドックス自身にシンセリティーが案外乏しいのでも判ろう。彼の逆説が屡々理に落ちる所以である。――パラドックスでうまく行かなければ、弁証法ではどうか。併し小林は、それが気が利いている限り、弁証法だって構わないと云うだろう。だが本物では御免蒙る、唯物弁証法だって※(疑問符感嘆符、1-8-77) 何だい野暮くさい※(感嘆符二つ、1-8-75)

柔軟な真実自身が逆説だ。よろしい、では何が真実自身か。それは取りも直さず文芸評論家小林秀雄自身である。「私の態度の裏の真に逆説的なものは、逆説的態度と率直な態度とが、私には全く同じ事を意味するという点である。」だから小林のパラドックスはパラドックスではなくてただのおしゃべりだと云ったのである。率直に云っても云える筈の逆説でしかないのだ。そんな逆説などありはしない。事逆説の逆説に関する場合は、もっと慎重である必要がある。

彼のおしゃべりが彼が恐れる処から来ると云った。実際彼は盛んに自分に就いておしゃべりをするばかりではなく、甚だ屡々自己弁解をさえやっている。それは彼の世界征服があまり成功しないと感じた時であり、同時に彼が居直る時でもある。