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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

」読者は機械論から、一体どういう種類の自由の観念と、どういう種類の自由主義とが必然的に結果したかを見ねばならぬ。何と静寂な自由と自由主義とだろう。横光自身の言葉を横から借りるが、「これは体臭という一番安手な魔薬でもって真実を見る眼を失わしめるにもっとも好都合な初歩の手です。」そういうのを私は嘗て文学的自由主義と呼んだのである。元来之は哲学的乃至倫理学的自由主義なのだが、夫が一等文学に気に入っているらしいからこう呼んだのである。とに角こういう機械的な均衡式な自由は、実体的な自由ではない。之では「身辺」さえが自由にならぬ。

この均衡論的な自由は云うまでもなく公平無私でなくてはならぬ。「雁金君なんかは僕にとっちゃたしかに敵だが、敵なればこそあの人の行動は、僕に誰よりも自由という精神を強く教えてくれたのだ。」これは一般に自由主義者の倫理であって、人間的真理を確かに持っているが、併し之で例の自意識は一体安心する積りなのだろうか。私は自意識なるものが、もう少し実体的な自由と、それに結びついて実体的な公平無私とに就いて、自己反省の能動性を持たんことを希望せざるを得ない。