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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
ところでディレッタントはどうか。それは一方においてアマチュアであるとも考えられ、他方においてはジャーナリスティックなものだとも考えられている。しかし私にいわせれば、ディレッタントはアマチュアのことでもなければジャーナリストのことでもない。ディレッタントはエキスパートに対立するものと考えることが出来よう。
経済学者で浮世絵の研究家であるとか、政治家で骨董品の鑑識に権威があるとか、いう場合は極めて多いが、しかしディレッタントとして一等目に立つのは、自然科学系統の学者が同時に全くの余技として文芸上相当の仕事をしているというような場合だろう。物理学者では寺田寅彦があるし、医学の教授では古屋芳雄、式場隆三郎、林髞等々があるし、建築学者伊東忠太の時事漫画などまでもこれに数えてよい。
ここですぐ気のつくことは、そのいわゆる余技なるものがいわゆる本業なるものと、著るしく無関係に見えれば見えるほど、ディレッタントとしての特色が明らかとなるという点だ。だから自然科学関係の人物のディレッタントが特に目立つのである。そして更に、その余技も実はただの余技では駄目なのであって(例えば手品のうまい科学者も少なくないようだが、これはディレッタントとはならぬ)、何か世間的に価値があると見做されるような余技でなくてはならぬ。