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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

と云うのは、哲学に於ては術語と日常語との間には、いつまでも極めて直接な連関が保たれているべきなのである。無論どういう術語でも日常語と無関係に出来る筈はないし、まして日常語とは全く別な術語を勝手に創造することも出来ない、その限りでは、どんな術語でもその地盤である日常語と不離の関係に結局は基いている。だが他の科学では、術語の一つ一つがどこまでも一定の日常語との連関を意識されて用いられるとは限らないし、又その必要も必ずしもないと云っていい。なぜなら一般に術語というものも、一種の言葉である以上、之を反覆使っている間には、自然とそれ自身に固有な直観的イメージを伴って来るので、いつの間にか専門的ではあるが併し一種の普通語と同じ言語意識機能を帯びて来るからであって、而も他の科学――実証科学――の場合にはその術語が仮にどんなに日常語から独立して了おうと、専門家の間に共通な物的な実証標準がいつでも眼の前にあるので、術語のおかげで理論を誤るというような危険はまず無いと見ていいからだ。自然科学者にとっては自然や生産組織や機械等々という実証的な現物があるのだから、それに関して云い表わす術語が少し位い生硬だろうが日常語として無意味であろうが、大した差閊えはないのである。