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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
科学的探究が科学的探求に止まる限り、公理乃至公式の体系に止まっている。之は例えば歴史に就いて云えば、社会の分析であって、まだ社会の歴史叙述ではない。でヘロドトスはすでに文学の領域である、尤も彼には遺憾ながら十九世紀以来の社会科学的範疇がないのだが。ゴーリキーの文学論を見ると、文学に於ける誇張の役目に就いて語っている。誇張というのは私に云わせると、科学的範疇に基いた限りの空想の能力のことだろう。こうやって科学的概念は文学的な表現にまで誇張され打ち出されるのである。道徳(モラル・モーラリティー)とは恰も、理論の誇張のようなものだ。――こうした大切な意味に取られた誇張こそ、評論の場面でもあるのである。
文学を科学から絶縁することは、だから絶対に許されない。夫を許せば文学の一切が厳粛なナンセンスとなる。批評にも何にも手懸りがなくなる。夫は埃を棍棒で打ち返そうとするようなものになるだろう。之は神秘主義の論理だ。――だがそうかと云って、文学を科学と一緒にしたり混同したりする事も許されない。もし之を許せば、モラルはペチャンコな酒の粕のようなものになるし、批評は無用に屋上屋を重ねた理論でしかあり得ない。