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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
に一般的な、意欲・指導力・行動なのである。それは恰も自由主義者の方針のように、徒に包括的でけじめがなく、抽象的で中味に核がないものなのだ。例えばこうした初めから内容の無限定な抽象である「行動」というようなものを、どんなに推し進めて具体化しても、初め輪郭的に「行動」と考えたものの限定は一向捗らない。だから之から出ては、合理的な弁別や決定や結論へは、そういう本当の批評の目標物へは一向到達出来ないのである。もし夫から何かの目標でも出て来るなら、それは用意された行動主義一般の上に、偶然落ちて来たものの所産に過ぎないだろう。ドイツが落ちて来ればドイツの行動主義(ナチス文化)になるし、フランスが落ちて来ればフランスの行動主義(アクション・フランセーズ?――それともジード等のコンミュニズム?)になる。それは丁度ドイツの愛国心もフランスの愛国心も同じく良心に他ならなかったのと変りはないので、それにも拘らず現実に於てはドイツとフランスとがお互を敵として祖国のために戦ったという事実に何の変りもあるのではない。
こうした無限定の前に茫然と立ちつくすような真似をしないためには、同じ意欲でも指導力でも行動でもいいから、文芸以外の領域をも含む立場から、決め直さねばならぬ。