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しんしゅうこうけつじょう
神州纐纈城
国枝 史郎
Read 神州纐纈城 (しんしゅうこうけつじょう) by 国枝 史郎 (くにえだしろう) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 188,242 characters · 380 screens
遅い月はまだ昇らず、「聖壇」は仄々と暗かった。微風が四辺を吹いていた。月の出の前の微風である。凋れた花の甘い匂いや仏に捧げた香の香りが、微風に紛れて匂って来た。どこかで小鳥の声がした。木立の茂りに包まれて今まで円に睡っていたのが、にわかの人声に驚いて夢を破ったに違いない。耳を澄ますとどこからともなく読経の声が聞こえて来た。岩の峡や木の下や茨や藪の中などで、苦行している人々の熱心籠もった唱名ででもあろう。見れば深夜の闇を破って諸所に火の光りが輝いていた。それは「聖壇」の到る所に安置されてある諸仏達に、捧げ申した灯火で、微風に煽られて延び縮みした。
秋の夜空は黒く冴え、星が無数に蒔かれていた。その夜空をクッキリと割って巨人一人が立っていた。すなわち役ノ優婆塞の像で、顔も姿も解らなかったが、なお崇厳の輪郭だけは、見る人の心を敬虔に導き、且つ菩提心を起こさせるに足りた。
「聖壇」の麓、眼の下には、教団信徒の家々が黒く固まって立っていた。人声も聞こえず灯火も洩れず、睡眠と平和があるばかりであった。「聖壇」と人家、これらの物を、保護するように聳えているのは一万二千尺の富士であったが、今はその富士も眠っていた。