Classiques japonais avec furigana
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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lisez 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) de Mori Ōgai (森 鴎外) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 166 525 caractères · 334 écrans
妻児玉氏は越前国敦賀の城主酒井右京亮忠の家来某の女であった。二百石八人扶持の家である。与四郎の文内に弟があり、妹があって、彼を宗兵衛といい、此を岡野といった。宗兵衛は分家して、近習小姓倉田小十郎の女みつを娶った。岡野は順承附の中臈になった。実は妾である。
文一郎はこの宗兵衛の長子である。その母の姉妹には林有的の妻、佐竹永海の妻などがある。佐竹は初め山内氏五百を娶らんとして成らず、遂に矢川氏を納れた。某の年の元日に佐竹は山内へ廻礼に来て、庭に立っていた五百の手を※ろうとすると、五百はその手を強く引いて放した。佐竹は庭の池に墜ちた。山内では佐竹に栄次郎の衣服を著せて帰した。五百は後に抽斎に嫁してから、両国中村楼の書画会に往って、佐竹と邂逅した。そして佐竹の数人の芸妓に囲まれているのを見て、「佐竹さん、相変らず英雄色を好むとやらですね」といった。佐竹は頭を掻いて苦笑したそうである。
文一郎の父は早く世を去って、母みつは再嫁した。そこで文一郎は津軽家に縁故のある浅草常福寺にあずけられた。これは嘉永四年の事で、天保十二年生の文一郎は十一歳になっていた。
文一郎は寺で人と成って、渋江家で抽斎の亡くなった頃、本家の文内の許に引き取られた。