Classiques japonais avec furigana
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Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.
しぶえちゅうさい
渋江抽斎
Lisez 渋江抽斎 (しぶえちゅうさい) de Mori Ōgai (森 鴎外) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 166 525 caractères · 334 écrans
明治九年に国学者阿波の人某が、福沢の著す所の『学問のすゝめ』を駁して、書中の「日本は爾たる小国である」の句を以て祖国を辱むるものとなすを見るに及んで、福沢に代って一文を草し、『民間雑誌』に投じた。『民間雑誌』は福沢の経営する所の日刊新聞で、今の『時事新報』の前身である。福沢は保の文を采録し、手書して保に謝した。保はこれより福沢に識られて、これに適従せんと欲する念がいよいよ切になったのである。
保は職を辞する前に、山田脩をして居宅を索めしめた。脩は九月二十八日に先ず浜松を発して東京に至り、芝区松本町十二番地の家を借りて、母と弟とを迎えた。
五百、保の母子は十月三十一日に浜松を発し、十一月三日に松本町の家に著いた。この時保と脩とは再び東京にあって母の膝下に侍することを得たが、独り矢島優のみは母の到著するを待つことが出来ずに北海道へ旅立った。十月八日に開拓使御用掛を拝命して、札幌に在勤することとなったからである。
陸は母と保との浜松へ往った後も、亀沢町の家で長唄の師匠をしていた。この家には兵庫屋から帰った水木が同居していた。勝久は水木の夫であった畑中藤次郎を頼もしくないと見定めて、まだ脩が浜松に往かぬ先に相談して、水木を手元へ連れ戻したのである。