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かげおとこ

影男

江戸川 乱歩

「面白倶楽部」1955(昭和30)年1月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 154,133 字 · 310 页

青空文庫

影男はオールを横にして、こぐのをやめた。ボートは波のまにまに漂っている。天気がよく、風がないので、海は湖水のように静かだ。はるかに数隻のつり舟が見えるくらいのもので、かれらは広い海面にたったふたりぽっちだった。

「いつかは観覧車の空の上で密談しましたが、あれよりもこのほうがいっそう安全ですね。海上の密談とはいい思いつきだ」

小男の須原が、はればれとしたあたりを見まわしながら、ニヤニヤしていった。

「そのかわり、命のやりとりにも絶好の場所ですね。須原さん、あなた泳ぎができますか?」

影男の佐川春泥が、これもニヤニヤして、気味のわるいことをいいだした。

「できますとも、三里ぐらいは平気ですよ。あなたは?」

「青年時代に東京湾を横断したことがあります。すると、お互いに溺死させられる心配は、まずないわけですね?」

「次に凶器ですか?」

「そう。なにかお持ちですか」

「これを持ってますよ」

小男はそういって、ポケットから黒っぽい小型のピストルを出して、手のひらの上でひょいひょいと躍らせて見せた。そして、またニヤリとする。

「ウフフ、お互いに護身の道具は忘れませんねえ。実は、ぼくも持っているのですよ」