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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
併しこの点が、やかましく云われている程に、実際問題になると徹底されていないことは遺憾だ。
例の能動精神論議に際して大森義太郎氏其の他は、現代インテリゲンチャを結局一種の階級と見做している。階級というこの言葉の不用意は問わないとしても、現代インテリが社会層としての社会集団をなしていることは云うまでもない事実なのだが、そうだからと云って之を単に「客観的」にだけ考察して、その階級であることがインテリ層の本質だと考えることは、極めて安易な、その意味では公式的な、見解を脱しない。インテリ層は客観的に見て一個の社会層(乃至その意味だけにとって一個の階級)ではあるにしても、その社会層の各個人の主体を通じてインテリジェンスの所有者であるということが、之又一つの客観的事実なのである。事物の客観的な関係は事実上主体のこういう条件を含んで初めて成り立っている。この主体的条件、乃至主体の問題を抜きにして、インテリ層が単に階級であることだけに見解を局限することは、客観主義であって唯物史観でも唯物論でもない。処がこういうものが「マルクス主義」だとみずから主張したり世間からそう思われたりしている。