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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

しかもまた、その価値ある余技もあまりに特殊な余技では困るので、ヨーロッパにはある有名な数学者で同時に印度学者である人がいるが、これでは却って充分な意味での「余技」にはならぬ。余技という以上、どこかごく一般向きの興味の対象になるようなものであることが必要だ。そういうわけで、特に文芸が、こうした人達の余技となる理由がある。今の場合をディレッタントの第一類とする。

尤も余技であるためには本業の方が少なくともこの余技とは比較にならぬまで優れたエキスパートであることを必要とするだろう。そうでなければ、これだけでは一体どっちが本業でどっちが余技だか判らなくなるだろう。しかしそこは調法なもので、余技か本業かはその当人がどの点でエキスパートかというようなことと比較的独立に、社会における職業、身分が、かなり便宜的に決めてくれる。つまり社会的に公認された当人の職業が本業で、それ以外のものは、仮に本人の好みが寧ろそこにあろうとも、または却ってこの方が生活資源の大部分であってさえも、副業なのであり、その副業が人間の一般的な興味となる限り、それが余技となるのだ。

文学が余技であるかないかという問題があるが、文学が人間への一般的興味の対象であり、従って他の普通の職業の対象とは異るという意味においては、文学は余技でなくてはならぬが、