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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
尤も之とても決して好ましい現象ではないのであって、出来るならば術語による表象を日常語による表象といつも連絡づけることが望ましいので、そうしないと、自然科学上の独創的な着眼や企図心は、決して延びないだろう。日本の自然科学者や技術家が、翻訳した術語を一方に於て持ちながら、いつも原語の術語で物を云う癖のあるのは、単に偶然な学界の習慣ではないので、原語の術語の方が原語の日常語との表象上の連絡が自然的に行っている場合が多いからだろうと思う。
処で哲学の術語は大分様子が異っている。哲学では、術語は何時までも日常語と表象上の直接的な連絡を保っていなくては、却って術語としての機能を果すことが出来ない。哲学では実証科学に於てのように、共通の標準になるような実証的現物が必ずしも承認されていないのが事実だから、もし万一術語が日常語の表象から独立して勝手な自分独自の表象を持って来るようになると、折角一致するために採用された術語は却って銘々の哲学者をして別々なことを考えさせるための言葉になって了うだろう。その例は術語的に一応発達しているとも見られるドイツ哲学などに多く見られるし、それがドイツ術語から翻訳された日本哲学術語になると、単に用語法がマチマチになるばかりではなく、術語が存在するために却って哲学の持っている日常的な真実が掴め