轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

三

つまり非科学的な形而上学というものが、この理論体系だ。

三

形而上学(解釈の哲学・観念論)は文学的表象を使嗾している。だから之は科学ではなくて悪い意味に於ける「文学」なのである。之は科学的理論に於ける諸概念の組み合わせを、文学的表象にまで高めて翻訳したものではなくて、逆に文学的表象をそのまま、原語のシンタックスのまま理論体系に居坐わらしたものだ。ニーチェやキールケゴール、ベルグソンに限らず、この種の哲学や「思想」は、必ずしもそのスタイルが文学に似ているからではなく、その表象のシステムが科学でなくて文学だから、文学的なのである。

こうした文学的表象でもって実在(リアリティーとか真実とか真理とか呼ばれている)を片づけて了おうという自慰的なやり方を、便宜上文学主義と名づけるとすれば、今哲学ではなく、文学そのものがこの文学主義を利用すると、夫が理論の形をとって現われないだけに、愈々性の悪いものになる。物質的検証を保証された理論的範疇を、翻訳し、一身上のアスペクトによって主体化し、その意味に於て一種の直覚的な具象性にまで高めて出来上った処の、文学的表象ではなくて、そういう方法的な検証を経ない天才的な(?)イデーが物を云い出すと、人に判らなければお筆先になるし、人に判れば身勝手な身辺や小さい私の文学として判る。