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まと

魔都

久生 十蘭

「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页

青空文庫

その旦那はといえば、早い話がチャンチャン坊主。日本の男が品切れになった訳じゃあるまいし、何も選り好んであんな毛色の違った旦那など持たなくともよかりそうなもんなのに。……それがまた莫迦な勤めようで、夕方にくるといえばもう三時頃からコーヒーを沸かし、夜店の南京鼠じゃあるまいし、扉口から出たり入ったり、こっちまで逆せ上ってしまうんでございます」

としゃべり散らしているのは、読者も先刻御承知であろう、第一回、有明荘なる松谷鶴子の家の料理場から割烹着の裾で手を拭いながら現われて来たとめという通い婆。これに応対している細面は、日比谷公園々丁長酒月守の娘の悦子。丸越百貨店のエレベーター・ガールをしているうちに、夕陽新聞の幸田節三に見染められ、一昨年の冬からここに囲われる事になったが、玉の輿とは名ばかりで、一カ月の手当はちょうど判任官級。時には味噌漉しを下げて露路を駆け出すこともある。さすがに妾といわれるのが嫌で、月々届けられる「夕陽新聞」の社名の入ったハトロン紙の封筒の表には「酒月秘書殿」と書いて貰うことにしてあるというが、そんな細かい詮策はこの際大して必要はあるまい。