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まと
魔都
久生 十蘭
「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页
にいた例の珊瑚王の伜山木元吉。その風体を見ても「巴里」からまっすぐここに来たものと知られる。時刻からいっても前回岩井伯爵が「巴里」へ現われて松谷鶴子の変死を報告してからまだ一時間とは経っていない。
山木は日頃艶の悪い蒼黒い頬をいよいよすませ、貧乏たらしく鼻の先を赤くしながら早足で入って来ると、椅子を引寄せて踏絵の傍に掛けながら、
「ハッチの野郎に付き纒われて、それで遅くなったのだァ」
と弁解がましく述べたが、踏絵はだいぶお冠の体で横を向いたまま返事もしない。山木はその方へ尖った顎を突出し、
「ねえ、おい。あいつは何か嚊ぎつけてるんじゃないのかァ」
踏絵はピクッと身体を顫わせると急に山木の方へ向き直り、
「感づくって、何をさ」
「つまり、二人の仲をさ」
踏絵は肩を聳かし、
「とぼけるない。それが何が恐い」
「ほう、恐くないのかい。これが岩井の旦那に知れてもお前さんは恐くないのかい」
フト見ると踏絵はテーブルの下でピリピリとハンカチを引裂いているので。山木もこれには驚いたようすで、
「こりゃ驚いた。何を独りで焦れてるんだい。いわなくっちゃ何も判りゃしない。え、おい、どうしたんだい」