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まと
魔都
久生 十蘭
「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页
扉を開けて入ると、そこは玄関といおうより広い廊下といったところで、片側は壁、片側は応接間の扉。その突当りがスチール・サッシュの、いわゆるコルビジェふうの大きなガラス壁で、床から五尺ほど上ったところに開閉する部分がついてい、事件の当時のままに悲しげに開かれ、そこから湿った風が吹き込んでいる。床の上には二尺ほどの高さの踏台が一つ。その傍に婦人用の牡丹色の繻子のスリッパが、一つは伏し一つは仰向いて葩のように美しく散っている。
真名古は突っ立ったままジロジロとそれを眺めていたが、
「見事だナ、これなら飛び出せる」
と呟いて、ニヤリと笑った。
ああ、誰か傍におってこの微笑を眺めたとしたら、それこそ背筋が寒くなるような思いがしたであろう。微笑といってもそれは唇の端がすこし動いただけに過ぎぬが、どんな悪党の微笑もこうまで凄くはあるまい。譬えていうならば氷の中で火が燃えるような、この世のありとあらゆる冷酷と瞋恚がこの顔一つに凍りついたかに見えたのである。
窓の側の縁に眼を近付けて何か妙な顔をしたのち、応接間へ入ろうとすると、扉には厳重に鍵がかけられ、その上封印までしてある。