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まと

魔都

久生 十蘭

「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页

青空文庫

「えッ」

ハッチソンはキッと顔を引き緊めて、

「もう、お忘れですか。……有明荘へ帰るといってアタフタとわれわれに別れたくせに、「巴里」へ入っていらした岩井の旦那の風態を見ると、まず昨夜のままのタキシードを着ていられるから、ご本宅へお帰りになったのではなかったのかと訊ねると、有明荘の門前に警察の人数が多勢出張っていて、どうしても僕を内部へ入れてくれなかったと申しました。ところが、今伺うと、検視も検証もちゃんと六時前に片附き、われわれが明石署から釈放される以前に警察の人数は全部お引払いになって、有明荘の門番になんか一人もいられなかった」

鋭い眼つきで印東の顔を凝視し、

「一体何のために、そんな益にもならぬ嘘を吐かれたんでしょう。妙な話ですな。……ところが、そういうことになれば、外にもうひとつ異様なことがある。……旦那はお気がつかれませんでしたか。岩井の靴の踵に赭土がウンと喰っついていたことを。……日ごろ身だしなみのいい岩井の旦那としては、あるまじきことなんで、そのため私の注意をひいたんですが、考えて見れァ、この節、東京の市中では、あんな赭土にはお目にかかりたくたってお目にかかれようもない。