轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
この形態の下に一頃全く、新興芸術派は露骨にも一部の出版資本の鮮かな傀儡となっていたことは誰しも憶えていることだろうと思うが、この点がモダーニズム文学を愈々安価に見せたのだと云わざるを得ない。
モダーニズムは併し当然主知主義・新心理主義・新社会派・等々にまで分化発達した。雑然とした近代的与件は、単に近代的に新奇なものの強調やその感覚的捕捉原理を以てしては、決して捕捉出来ない。インテリジェンスや意識的時間やブルジョア社会機構なりによって、近代生活は雑然としてではあるが、とにかく統一されなければならぬ。そうしなければ認識にも文学にもなれないからだ。――単なる感覚主義にはモラルがないと云っても好いだろう(モラルというこの流行観念には信用出来ない点があるのだが夫は後で云おう)。処が例の意識の流れの文学になればすでにモラルがないとは云えなくなる。なぜというにベルグソンの哲学に於てもW・ジェームズの心理学に於ても、問題は元来パーソナリティーにあったのであって、J・ジョイスやM・プルストにパーソナリティーのモラルを求めることは当然で又容易いことではないかと思えるからだ。