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しそうとしてのぶんがく
思想としての文学
戸坂 潤
「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页
こう考えて来ると、一見偶然な現象であるかのように待遇され勝ちな所謂モダーニズムも、実は却って、日本文学の伝統である自然主義の本格的な一発展でさえもあり、それ故に又、注目すべき新文学でもあったのだ。
モダーニズム文学がまず何より先に、近代資本主義による消費及び生産の絢爛たる外貌に蠱惑されたのは、当然の宿命でもあったが、又致命的なことだったとも云わねばならぬ。夫が末梢神経に随喜するように見えた新感覚派として出発を始めたと云われるのは甚だ尤もであった。なぜなら過剰に豊沢な外面的相貌は何よりも先ず末梢感覚を刺激する筈だったからである。而も悪いことには例の絢爛たる資本主義生活の外貌の代りに、その匿された又は露骨な本質を衝かねばおかぬと考えたマルクス主義文学運動に対して、純文芸(まだその頃はそういう言葉は流行らなかったかと思うが)又は新興芸術の名によって、反動又は逃避を企てたものが、この感覚主義的モダーニズムの一味だったということだ。そして更に悪いことには、モダーニズムのこの感覚主義(センシュアリズム)が却って一種のセンチメンタリズムになったことはまだしもとして、新聞や雑誌によるジャーナリズムのセンセーショナリズムに追随して、狭量にも、近代的に新奇なものの感傷的な強調にだけ終始しようとしたことである。