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しそうとしてのぶんがく

思想としての文学

戸坂 潤

「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 209,809 字 · 408 页

青空文庫

彼を不安にし饒舌にしているものは、彼が外界に対して持つ一種の恐怖ではないかと思われる。

この説明は併し全く色々のものを含んでいる。第一は他人に対する、第二は外界の事物に対する、恐れだ。まず第一の方から述べよう。

試みに次のような一人の爺父を想像して見給え。彼は神聖な集会の場所で必要もないのに神聖を冒涜するような言動を自発的にやってのける。そして自分で勝手に悪く興奮しておきながら、興奮のはけ口をその場にい合せた相手に求める、そこで遂に相手とはしたない喧嘩を始める。これは爺父が他人を恐れるからである。小林秀雄をこうした道化役者に見立てることは必ずしも当っていないとは思うが、併し彼の内に何かこの種類の道化役者をピンと感じない読者は、案外少ないのではないだろうか。なる程小林は殆んど凡ての意図を一応かなり公平に無私に理解出来る理知的な文芸批評家だから、他人と喧嘩すべく無意味な興奮にかられるような心配はまずないが、それでも少なくとも私は、何かに向かって吠えている彼を至る処に、顕著に見出す、之は私の錯覚ではないだろう。尤も吠えつかない批評家程無用なものはないが、小林の場合はそれが何かの恐怖に対する反作用として現われているのである。