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まと

魔都

久生 十蘭

「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页

青空文庫

第十二回

三十七、魚の腹話術の事 並に英吉利巡洋艦の事

私の手から逃げ出すことは出来ぬ」

と呟くと、微かに唇の端を皺めて奇妙な微笑をした。悪霊の微笑だってこうまで冷たくはなかろう。さながら顔に凍りつくかに見えたのである。

時計が午前三時を打つ。退っ引ならぬ解決の時間までに、あますところ僅か一時間となった。ああ、一時間!

第十二回

三十七、魚の腹話術の事

並に英吉利巡洋艦の事

夜空で五位鷺がギャアと鳴く。

夜番の柝の音も凍りそうな一月二日の深夜。桐のずんどに高野槙、鉾杉、棚かえでなどが繁りに繁って、昼でも薄暗い山王の森。かれこれ午前三時というのでありますから、いかにも凄く物淋しい。

その森の間をたらたら上りになる小径。空には月がありますが、木の葉が厚く茂っているので、とても下草までは届かない、さながら深山の杣道といった体に、ずっと上の方へつづいている。行手の木の間がくれにコンクリート建の西洋館。二つ三つの窓から沈んだ灯の色がぼんやりと洩れ、半面に淡い新月の光を浴びて、まるで夢の中の景色のように、妙に鮮やかに白々と浮き上っている。ちょうど前日の今ごろ、そこで人殺しがあった、例の有明荘。

小径の中ほどのところに大きな笠松があって、そこばかりはとりわけ黒くおどんだようになっているその木の下闇、そよ吹く風の枝の間からスーッとぬけ出した一つの影。