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はくはつき

白髪鬼

江戸川 乱歩

「冨士」大日本雄弁会講談社、1931(昭和6)年4月~1932(昭和7)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 112,046 字 · 224 页

青空文庫

ザワザワと盛り場を歩く人声さえ聞える様だ。まだ宵の内に違いない。

小山の麓に、糸の様な小川が、月の光に、チロチロと輝きながら流れている。アア、水だ。今こそ幻でない本物の水にありついたのだ。

わしは転がる様に、小山を下って、小川の縁へ這い寄った。何という美しい水だ。何という冷い水だ。何というおいしい水だ。

両手で掬うと、手の中で月が躍った。わしはその銀色の月もろとも、甘露の様な水を飲んだ。掬っては飲み掬っては飲み、胃袋が冷たく重くなる程、何杯でも何杯でも飲んだ。

あきるまで水を飲むと、わしは両手で口を拭きながら、川縁にシャンと立上って、遠く町の火を眺めた。

アア、何たる歓喜! わしは今こそ、元の大牟田子爵に返ったのだ。美しい瑠璃子の夫なのだ。才人川村の友達なのだ。そして町第一の名望家として、市民の尊敬を受ける身の上だ。

わしは嘗つて、地獄岩から落ちるまでの、新婚生活の二年間を、この世の極楽だと云ったけれど、今の喜びに比べては、あんなものは何でもない。あれが極楽なら、今の気持は極楽の極楽の極楽だ。

わしは中天の月に向って、胸一杯の歓喜の叫びを上げた。