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まと
魔都
久生 十蘭
「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页
次ぎの朝、魚河岸の「天徳」で印東の注意を惹いた爪先の減った山木の三本の指と、その爪の間に詰っていた白壁の謎はまずこれで解けたことになる。山木が何のためにこんな時間に「すず本」を抜け出したか、その理由は疑問のままに置かれるとしても、少なくとも有明荘の玄関の間の壁へ三本の掻痕を附けたのは山木でなかったということはこれで明白になる。真名古ぐらいのエキスパートが、爪がつけた傷か、鋭角性の金属でつけた傷か、それぐらいの見分けがつかぬ筈はあるまい。先刻、花が山木のこの不思議な爪の話をした時、真名古が一向問題にする様子のなかったのはその故である。してみると、山木の懐中時計のガラスの破片は、多分このへんで見附かるであろう。もしそれが見附かれば、山木は少なくともクロロフォルム入りのアンプールを使って皇帝を誘拐した犯人ではない。これとても、真名古にすれば、それが懐中時計の硝子蓋の破片なのか、アンプールの破片なのか、それを勝手の階段の下で見た時すでに識別していたであろう。梯子を降りて露次の敷石の上を照して見ると、果してその上にガラスの破片が散乱している。のみならず、堕落した際、左の手首の辺を負傷したことも判る。