Classiques japonais avec furigana
ja-reading.com
Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.
ばいりせんせいぎょうじょうき
梅里先生行状記
吉川 英治
Lisez 梅里先生行状記 (ばいりせんせいぎょうじょうき) de 吉川 英治 (よしかわえいじ) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 209 260 caractères · 418 écrans
和尚の言にうなずいて、介三郎はにこやかに、
「そうでしょう、庶民のうちにはいると、神も仏も、本来のものは稀薄になって、形のうえのことが、重大に支配して来ますから」
「拙僧はこう解しています。仏法渡来までの日本には、仏教はなかったのでありますし、神は日本とともに、その発祥建国から御柱としてあるものでありますから、どこまでも、神祭は国教であり、仏祠は民教であるというふうに」
「これはまた、寺院におられながら、思いきったご解釈ですな。仏徒の方々のうちには、そうはっきり考えているひとが、ほかにも多くありません」
「まず、少ないでしょう。むしろ神事の祭と対立しているように、堂塔の大を誇ったり、権門の帰依を恃んでいるほうが、まず偽らない現実です」
「対立などは困る」
「ですからはっきり拙僧の申したように、庶民も分っていなければいけません。妙な迷信や混信の弊もそこに生じましょう。拙僧の解釈はきっと仏徒には不平でしょうが、そもそも、はっきりした国体のうえへ、中古に請来された仏教です。人間の煩悩五欲生死解脱などのうえに、非常に大きな光明をもたらして、日常生活に直接むすびつきましたから、上下を通じて、僧門の勢力は、神社のまつりなどの比ではありませんが、これをもって、神祭のすたりが来たすようでは、国体の弱まりではありませぬか」