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まと
魔都
久生 十蘭
「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页
さっき溜池署の門を出る時加十は、自分でも気のつかぬうちに、いつのまにかすっかり被告の心理になっていたものと見える。いくら何でも元日っぱなから警視庁に護送されるところなぞを同業に見られたくないから、他聞を恥じるどの被告もするように、襟巻で面を包み帽子の前鍔を鼻の上まで引き下げ、走り込むように自動車に乗り、その儘の姿で帝国ホテルの車寄せに降りた。部屋に入ってからはさすがに覆面だけは引き下げたが、その代り今度は大きな安楽椅子に沈み込み、鞠躬如と差し出す献立表も電報もみな肩越しに受取ったのである。これらはみな偶然であって、加十が予期すると否とに関わらず万事極めて自然に行なわれたのである。かりに企んだとしても、こうまではうまく行かなかったろう。元来ホテル業者などは大体に於て観念的な存在だから、私服に護衛されて堂々と車寄せに乗りつけた皇帝を、たとえ覆面などをしていてもこれは本物かしらなどという突飛な疑問は起さなかった。高貴のなさることは概して下賤の常識では計りかねる非凡なところが多いのだから、その物々しい覆面も例の伝だと思ってさして訝しむこともなかった。こんな微妙なめぐり合せで、加十はウマウマと皇帝に間違われてしまったのである。