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まと
魔都
久生 十蘭
「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页
二十九、一泊二十五銭の事 並に三鞭酒の瓶の事
私は三十分以内に本庁へ帰る」
そして丸めた靴下を不器用に右手にさげ、ヒタヒタと素足で畳を踏みながら部屋を出て行った。
二十九、一泊二十五銭の事
並に三鞭酒の瓶の事
浅草聖天横町、これをもう少し行くと日本堤になる。馬道と背中合せの、一口におかん通りという薄暗い横通り。簡易ホテルといえば今時の呼び方、御一泊十五銭、風呂も有り升。宿帳をつけると、番頭が湿った掌の上へバットを一本載せて、おつけなさいと差し出す例の木賃宿、これが軒並みに並んでいる。
入ると凸凹の黒土の土間で、地下足袋で踏み固められて黒く艶が出ている。青痰やら唾やら、何ともいえぬ悪臭がその土間から立ちのぼる。木理も見えぬほどに汚れた三尺の上り框のとっつきがすぐ階段になって、これを踏み昇ると坊主畳を敷いた三十畳ほどの大部屋があり、幟を染め直した蒲団を着たのが、河岸に鮪がついたほどに寝ころがっている。
この大部屋と廊下一つ隔てた向うに三畳の小間がつづく。ここへ泊るのは特等級。宿賃もズンと高い。一泊二十五銭。幟でない蒲団を着ようと思うとまた五銭とられる。その奥まった特等室の煎餅蒲団の上に、胡坐をかくでもない、キチンとタキシードの膝を折って孤影悄然と坐っているのは、例の有明荘の六人の一人、有名なる珊瑚王の伜、山木元吉。