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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
(しかし千葉子玄の『芸閣先生文集』(三巻)を見るに平洲は向柳原なる幕府天文台の近くに住居していた事がある。)その「累世二主」というのは享和元年六月二十九日に平洲が寿七十四歳で没し養子徳昌が家を継いで嚶鳴館の新主となった事を言ったのであろう。
竹渓はとにかくに年少くして江戸に来ったがまた折々帰省して父幽林の安否を問うた。幽林の集に「男伯経尾陽ニ還ル。別後三日雨。」〔男伯経尾陽ニ還ル。別後三日雨フル〕と題して、「東西千里問安廻。傷別老懐鬱不開。遥憐山駅雨淫日。蓑笠穿雲独往来。」〔東西千里安ヲ問ヒテ廻ル/別レヲ傷ミテ老懐鬱トシテ開カズ/遥カニ憐レム山駅雨淫ノ日/蓑笠雲ヲ穿チテ独リ往来スルヲ〕の絶句がある。
鷲津松隠のつくった幽林の行状にも竹渓は父の京師にあって脚気を病んだ時その傍に侍していたことが記されている。
竹渓は文化年間弟松隠をして亡父幽林の詩稿を編輯せしめ、これを菊池五山に示して批評を請うた。五山は幽林父子の略伝とその作二、三首を採ってこれを『五山堂詩話』の第九巻中に掲げた。当時五山の詩話中にその作を採録せられることは非常なる名誉であったと思われる。