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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

第三十

この年万延元年六月二日に枕山の長子が生れると間もなく殤した。母は太田氏梅である。

十二月十三日に枕山は和泉橋なる藤堂家の祝宴に招がれた。律詩の題言に「伊賀中将公名士ヲ本邸ニ招飲ス余モマタコレニ与ル。」云々。藤堂和泉守高猷は従四位左少将から「出格の思召を以て」左中将に昇進したのでその祝宴が開かれたのである。『続徳川実記』には昇進の日を十二月十六日となしている。

第三十

文久紀元辛酉の年枕山は歳四十四、毅堂は歳三十七である。

正月三日に雪の降ったことが枕山の『詩鈔』に見えている。

鷲津毅堂は安政戊午の秋その妻佐藤氏を喪いやがて継室川田氏を娶ったのであるが、その年月を詳にしない。しかし長女友の生れた後、この年文久辛酉の九月四日には次女恒が生れた。但し明治の後に至って調製せられた下谷区の戸籍簿には恒を以て長女と記している。恒は明治十年七月十日神田五軒町の唐本書肆の主人林櫟窓の媒介で、毅堂の門人尾張の人永井匡温に嫁した。恒は今ここにこの下谷叢話を草しているわたくしの慈母である。

毅堂の継妻川田氏は名を美代という。豊前中津の城主奥平大膳太夫昌服の家来川田良兵衛、諱某の二女。