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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

第四

これは※(「木+蟶のつくり」、第3水準1-86-19)宇の撰んだ碑文に言われている。碑文の搨本をわたくしは市河三陽氏から借覧した。

比事歌は恐らく竹渓が最終の作であろう。竹渓はこの比事歌を贈った牧野鉅野の死に後るること二個月にして、下谷御徒町の賜邸に没した。享年六十六。文政十年丁亥十二月二十四日である。

第四

大沼竹渓の家はその実弟次郎右衛門基祐がこれを継いだ。基祐は鷲津幽林の末子でこの時四十四歳である。その墓誌を見るに基祐も兄竹渓と同じく幕府の小吏であった。しかしわたくしは遂にその役柄並に俸禄を知ることができない。

竹渓の没した後その家には妻某氏と男捨吉とが遺された。捨吉は後の詩人枕山である。捨吉は何故父の家をつがなかったのか。これもわたくしの知らんと欲して知ることを得ざる大事件である。

捨吉は文政元年三月十九日暁六ツ時に生れた。父竹渓が五十七歳の時の出生で、他に兄弟のなかった事は竹渓が比事歌に「吾年六十唯一男。」〔吾年六十唯ダ一男ノミ〕の一句あるに見て明かである。捨吉は十歳にして父にわかれた後、その母と共に叔父次郎右衛門に扶養せられていたのであろう。