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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
第二十六
猶この上他界のものと思はず、朝夕の手向たのみ入候。枕山家内のことは、積信院のこゝろもち我よく/\知りつれば、追て物がたりに及ぶべく候。かしく。積信の姉へ。白居申ふす。」この文体と筆跡とを見るに婦人であることは疑を入れない。
第二十六
安政四丁巳の歳枕山は四十歳、毅堂は三十三歳になった。
横山湖山の『火後憶得詩』の中「墨水看花歌」に「丁巳三月念一日鷲津重光、井上公道、松岡欲訥、田中君山、福岡藤二ト墨水ニ遊ブ。時ニ井上福岡ノ二子帰期近キニアリ。」云々の題言が記してある。これらの人名の中、福岡藤二は土佐の藩士で大正八年頃まで生存していた子爵福岡孝悌である。また松岡欲訥は同じく土佐の藩士松岡七助、号を毅軒といった人であろう。
六月京都の書肆擁万堂が『安政三十二家絶句』三巻を刊行した。江戸に在住した詩家の吟詠は毅堂が専之を選択し、関西の詩家は伊勢松阪の儒者家里松濤が択んだ。毅堂は選集の中に遠山雲如の作を除いて載せなかった。これがため二家の間に他日嫌隙を生じた事は毅堂がその郷友森春濤に送った書簡に見えている。
「過日は平三郎へ御托しの御細書下され忝く拝見仕候。先以て文履益※(二の字点、1-2-22)御万福に御座成され欣然に存奉り候。