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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

第三十四

六月二日枕山の長男新吉が生れた。

秋の頃鷲津毅堂は帰省して母の安否を問うた。毅堂の撰に成る青木可笑の墓誌中に「元治甲子ノ歳余江戸ヨリ郷里ニ帰ル。」としてある。江戸の家人に留別する絶句に、「此行不為鱸魚膾。擬把新詩補白華。」〔此ノ行鱸魚ノ膾ノ為ナラズ/新詩ヲ把リテ白華ヲ補ハンコトヲ擬ス〕と言ってあるから時節は秋の半過であろうか。毅堂は須臾にして江戸に還ったらしい。

八月中秋、枕山は長谷川昆渓、関雪江らと和泉橋から船を買って向島の百花園に秋花を賞し、山谷堀の某楼に登って明月を迎えた。

十一月枕山は先考竹渓の遺稿を集めてこれを刻した。文政十年十二月竹渓が没してより三十七年を経ている。

十二月除夕枕山は再び長谷川昆渓と相携えて池の端の松源楼に歳を餞した。

第三十四

慶応元年乙丑の春より夏にかけて枕山はしばしば芝口一丁目脇坂中務大輔安宅の邸に招かれて奉和の詩を賦している。脇坂安宅は播磨国竜野の城主で純斎と号した。文久二年四月隠居して家督を養子藤堂和泉守の三男安斐に継がしめ、その年五月老中首席に列したが十一月に至って謹慎を命ぜられた。理由は万延元年三月三日井伊大老遭難の際、安宅は老中の職にあってその措置よろしきを得なかったというにある。