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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
第三十五
毅堂の赴任を賀した諸家の詩賦について、わたくしは巌谷迂堂の絶句を摘録して置きたい。迂堂は後の一六先生でわたくしの畏友小波先生の先考である。迂堂が送別の作は下の如である。「揚揚匹馬向西行。山複水重程又程。寧厭天気風雪苦。黄金台築在金城。」〔揚揚トシテ匹馬西ニ向ヒテ行ク/山複ナリ水重ナリ程又程/寧ゾ厭ハンヤ天気風雪ノ苦ヲ/黄金台ハ築イテ金城ニ在リ〕
毅堂はこの時四十一歳である。妻美代は臨月に近かったので長女恒と共に留って芝口奥平家の邸内なる生家川田氏の許に寄寓し、十一歳になる男文豹のみが父に随って尾張に往った。
十二月七日に美代が次男俊三郎を江戸に生んだ。
第三十五
鷲津毅堂は名古屋城外の新馬場に屋敷を賜った。毅堂がその本藩に聘せられた事は、そのかつて結城久留里の二藩から廩米を給せられた事とは全く事情を異にしていた。毅堂は笈を負うて江戸に出でてより二十年にして始めて錦を著て故郷に還ったのである。『毅堂丙集』巻の四に曰く、「乙丑十一月余聘ニ応ジテ尾張ニ帰ル。公城外ノ新馬埒ニ館ヲ授ケラル。待遇一ニ先儒平洲細井翁ノ故事ノ如シ。乃チ翁ガ感懐ノ詩ノ原韻ヲ次イデ以テ事ヲ紀ス。