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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
第二十七
時に年二十五であった。
第二十七
安政五年戊午七月十一日(アルイハ十五日)、鷲津毅堂の妻佐藤氏みつが時疫の暴瀉に罹って没した。谷中三崎の天竜院に葬り法諡を恭堂貞粛大姉となされた。わたくしは天竜院に赴き墓石と過去帳とを検したが忌辰を記するのみで年齢を知ることができなかった。毅堂が「悼亡」の絶句七首の一に「何由幼稚記風※(「蚌のつくり」、第3水準1-14-6)。傷逝憐孤感不窮。他日奉衣如見母。余香留在一箱中。」〔何ニ由リテカ幼稚風※(「蚌のつくり」、第3水準1-14-6)ヲ記ス/逝クヲ傷ミ孤ヲ憐ミ感窮マラズ/他日衣ヲ奉ジテ母ニ見ユルガ如シ/余香留マリテ在リ一箱ノ中〕男文豹は四歳にして慈母を喪ったのである。わたくしは他の一首によって毅堂の弟光恭がこれより先既に江戸にあって、而してまたこの年帰省したことを知った。絶句の転結に「一年兼作死生別。昨送阿恭今送君。」〔一年兼ネテ作ス死生ノ別/昨阿恭ヲ送リテ今君ヲ送ル〕
鷲津光恭、通称五郎、字は子礼、蓉裳と号す。天保四年八月一日に生れたので、安政五年には二十六歳である。蓉裳は江戸にあって昌平黌に入り、また藤森弘庵の塾に学んだのである。