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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

第四十一

明治十六年十月毅堂の門人らが先師の名を不朽ならしむるため、石碑を向島白鬚神社の境内に建てた。碑の篆題は三条実美が書し、文と銘とは三島中洲が撰した。しかし『明治碑文集』及び『中洲文稿』に載録せられた撰文と石面の文とを対照するにやや異同のあることをわたくしは発見した。石刻の文を以て定稿となすべきものであろう。

毅堂の亡後その家は嫡男精一郎が継いだ。精一郎は字を文豹という。一時官吏となって岩手県に赴任したが須臾にして致仕した。以後今日にいたるまで幾十年、文豹は世の交を避け閑適の生涯を送っている。近年其角堂の社中に遊び楊柳庵と号して俳諧を娯しみとしている。

第四十一

中根香亭の著『天王寺大懺悔』なるものに毅堂のことが書いてある。『天王寺大懺悔』は谷中天王寺墓地に埋葬せられた名士聞人が夜半墓より顕れ出で、毘沙門天の質問に応えて各生前の事を語るという諷刺の作である。明治十九年十月金港堂から刊行せられた。ここに毅堂に係わる一節を摘載する。

「跡につづいて六十歳ばかりの少し小造りなれど眉毛濃く目のはっきりとした官員体の人進み出で厚紙の名札を差し出しければ毘沙門天受取って見たもうに従五位鷲津宣光とぞ記したる。