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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
」〔先妣一七日忌辰展墓ノ途上〕と題して、「野逕蕭条蛩語哀。木犀秋雨※(「さんずい+邑」、第3水準1-86-72)蒼苔。板輿昨日游春地。今日何堪展墓来。」〔野逕蕭条トシテ蛩語哀シ/木犀秋雨蒼苔ヲス/板輿昨日游春ノ地/今日何ゾ堪ヘン墓ニ展リ来ルヲ〕そして註に一七日を八月二十九日となしている。三田薬王寺の過去帳は忌日を八月三十日と識している。
この月大沼又三郎が神奈川奉行手附となり一家を横浜に移した。又三郎は安政六年十月水戸の獄に連坐して押込五十日の罰を受けたのであるが、その後幕府の政事はこの年に至って全く一変しかつて罰せられたものは皆赦された。又三郎も班を進められて支配勘定となり再び出役を命ぜられたのである。
十月八日藤森弘庵が没した。享年六十四。麻布本村町の曹渓寺に葬られた。弘庵は安政六年十月江戸払の刑を受けてからその号を天山と改めていた。絶命の詞に曰く「伏枕期年鶴骨支。猶聞時事思如糸。空余満腹経綸作。把筆枉書絶命詞。」〔枕ニ伏シテ期年鶴骨ノ支/猶時事ヲ聞ケバ思ヒ糸ノ如シ/空シク余ス満腹ノ経綸ノ作/筆ヲ把リテ枉ゲテ書ス絶命ノ詞〕
十一月冬至の日、松平弾正少弼康爵がその宴席に枕山を招いた。