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したやそうわ

下谷叢話

永井 荷風

自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页

青空文庫

故ニ子アツテ集ナシ。コレアルハ六朝ヨリ始ル。然レドモ唐宋大賢ノ文ヲ観ルニ直ニ胸臆ヲ抒シ通暢明白ニシテ切ニ事理ニ当ル。夫ノ彫虫篆刻スル者トハ背馳セリ。名ハ集ナリトイヘドモ実ハ子ナリ。凡ソ事ハ名実相副フヲ貴ブ。惟集ハ則然ラズ。寧名ニ反シテ実ニ従フ者ナリ。然リトイヘドモ余コレヲ能クストイフニ非ラズ。願ハクハ学バン矣。」

明治十年丁丑七月十日に毅堂の女恒が十七歳にして永井禾原に嫁した。禾原はわたくしが先考の雅号である。先考はこの時年二十六で数年前米国より帰朝し、東京女子師範学校の訓導に任ぜられていた。

明治十四年の夏毅堂は学士会の会員に列せられた。翌年壬午の秋毅堂は胃癌を患い、枕に伏すこと三旬あまり、その年の十月五日に簀を易えた。享年五十八である。碑文に「十五年壬午ノ秋病ンデ家ニ臥ス。就チ司法権大書記官ヲ拝シ、勲五等ニ叙シ双光旭日章ヲ賜フ。十月五日特旨従五位ニ叙ス。コノ日卒ス。年五十八。谷中天王寺ニ葬ル。儀衛兵ヲ賜ハリテコレヲ送ル。故旧門人会スル者車馬道ニ属ス。観ル者歎息シテ儒者イマダカツテアラザルノ栄トイフ。」としてある。

葬儀は神式を以て行われた。墓誌は門人村上函峰がつくり、墓石の書は門人神波即山が筆を揮った。