轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
詩は皆『枕山詩鈔』に載っている。枕山は笠間を去って来路を南に下り再び土浦を過ぎ土屋采女正寅直の藩校郁文館にその督学藤森弘庵を訪うた。
藤森弘庵、通称は恭助、名は大雅、字は淳風、後に改めて天山と号した。父は播州加東郡小野の城主一柳家の右筆であった。弘庵は初松平隠岐守の儒臣長野豊山について学び、後に古賀※(「にんべん+同」、第3水準1-14-23)庵の門に入った。十八歳にして父を喪いその家を嗣いだが、主家の権臣一柳左京の憎むところとなり、遂に主家を去って赤坂の某処に住し家塾を開き、旁板下を書いて纔に口を餬していた。大窪詩仏が『詩聖堂集』初篇、また館柳湾の翻刻した『金詩選』、『温飛卿集』の板下の如きはいずれも弘庵が生計のために書いたものであるという。けだし文化の頃のことであろう。既にして弘庵は土浦侯土屋相模守彦直の知遇を蒙り、その世子寅直のために経書を講じた。天保九年戊戌十二月世子の封を襲ぐに及んで賓師となって土浦に赴き一藩の政務に与った。蒲生亭の『近世偉人伝』(義集第三編)には「天保甲午(五年)土浦侯聘為賓師委以学政。」〔天保甲午(五年)土浦侯聘シテ賓師ト為シ委ヌルニ学政ヲ以テス〕としてある。