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まと
魔都
久生 十蘭
「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页
もったいぶった書き方をしたが、これは別に刑事だというわけでもなかった。前回、「お茶松」の賭場に手入れがあるより早く、岩井通保と手に手をとってお茶ノ水の土手へ抜ける地下の暗道を通り、無事に天網を遁れた有明荘の住人の一人、岩井通保の秘密の情人、当時売出しのダンサー川俣踏絵そのひとであった。
お茶ノ水の土手からまっすぐにここへ来たものと見え、手入れのあった時間からまだ三十分も経っていない。前回の通り、焔色の夜会服を着て、見るもいぶせきこの木賃宿の一室へ、さながらニジンスキイの「火の鳥」とでもいった花々しいようすで飛び込んで来た。
引き戻しておいて、力任せに山木の横っ面を撲りつけると、青い顔をしてぶるぶる顫えながら、
「なんで、逃げ隠れする」
と叫んだが、よほど思い余ったと見え、山木の胸に顔を埋めてヨゝと泣き出してしまった。
山木は痴のように口を開いて茫失していたが、やがて眼性の悪い細い瞼の間からポロポロ涙をこぼしながら力任せに踏絵を抱きしめ、
「逃げる?……冗談いうなよ。逃げる気ならアドなどやるもんか。どうしてそう疑り深いんだろうなア」
と、がっくりとなって咽び泣いていたが、またしても臆病そうにチラチラと襖の方へ眼をやって急に声を低め、