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まと

魔都

久生 十蘭

「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 293,999 字 · 578 页

青空文庫

ているのである。それは上代の催馬楽か西洋の牧歌のようなもので、どのような憂いのある人の心も和ませずには置かぬような長閑な曲節であった。

鶴はその後二分ほどの間、いかにも楽し気に唄いつづけていたが、やがて気が羞したようにフッと歌をやめてしまった。池畔の大群集は魔術にかかったように、我を忘れて恍惚とその妙音に聞き惚れていたが、このとき期せずして凄まじい歓声とともに万雷の如き拍手をおくる、その声々にさながら日比谷の森も揺らぐかと思うばかり。鳴りをひそめていた楽隊はこれに勢いを得て(あなたと呼べば)と節も賑やかに囃し出す、新聞売子の面々は又してもうるさく鈴を鳴らして駆け歩く。ドッと挙った「夕陽新聞万歳」の声にフト演壇の方へ振返って見ると、感激した群集は今や幸田節三を胴上げにしてワッショイワッショイと池の周囲を廻り始めようというところ。引っ込みがつかなくなったのは件の背広服の連中だが、この時は早や何処へ行ったものか一人もその姿は見当らなかった。

その池の傍に先程から身動きもせずに突立っている二人の人物があった。一人は威儀正しくフロック・コートを着けた、顔の浅黒い、眼のギョロリとした、縮れ毛の、一眼で異国の人と知られる中年の紳士で、この不思議な出来事のためにすっかり動顛してしまったものと見え、片手に東京地図を握りながら