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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
自序「下谷叢話」春陽堂、1926(大正15)年3月20日<br>第一~第四「女性 第五巻第二号」プラトン社、1924(大正13)年2月1日<br>第五~第十一「女性 第五巻第三号」プラトン社、1924(大正13)年3月1日<br>第十二~第十五「女性 第五巻第四号」プラトン社、1924(大正13)年4月1日<br>第十六~第二十二「女性 第五巻第五号」プラトン社、1924(大正13)年5月1日<br>第二十三~第二十九「女性 第五巻第六号」プラトン社、1924(大正13)年6月1日<br>第三十~第三十五「女性 第六巻第一号」プラトン社、1924(大正13)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 122,971 字 · 246 页
に卜居した。
『遺稿』の中に「庚戌家ニ還ル。」と題した七律がある。これに由って観れば幽林が脚気を病んでその男典を伴い丹羽村の万松亭に還ったのは寛政二年庚戌の年でその齢六十五の時である。
幽林に四男一女のあったことは既に行状に見えている。長男名は典、字は伯経、通称は次右衛門、竹渓と号した。その没年より溯算すれば宝暦十二年に生れた。次子名は吉についてはわたくしは知る所がない。三男名は混、字は子泉、松隠と号した。幽林が晩年の通称九蔵を襲ぎ丹羽村の家を継いだ。その生れた年月は詳でない。四男名は茂、後に基祐、字は某。通称次郎右衛門、号を杉井という。その没した年より考うれば寛政六年の生れである。
長男典は家を継がず江戸に出で幕府御広敷添番衆大沼又吉なるものの養子となった。これは下谷の鷲津家所蔵の系譜に見る所であるが、当時の『武鑑』には大沼又吉の名は記載せられていないようである。
大沼氏を冒した典は竹渓と号して化政の頃江戸の詩壇に名を知られた詩人である。そしてまた今日でもなお世人の記憶している大沼枕山は竹渓の男である。
文化五、六年の頃稲毛屋山が当時知名の儒者文人の詩を採って『采風集』